キャンパスの佇まい    


旧東京商科大学が、大正12(1923)の関東大震災で神田一ツ橋にあった校舎が壊滅的被害を受けたことにより、国立にキャンパスを移したのは昭和5(1930)です。西武鉄道の創業者、堤康次郎が学園都市開発の一環として東京商科大学を国立に誘致しました。このとき整備された旧東京商科大学の校舎群はロマネスク様式で統一され、細部意匠もロマネスク建築特有の不可思議な動物等の装飾がみられます。現在、一橋大学のキャンパス内には40近くの建物がありますが、そのうち、東京商科大学時代の建築物は6棟存在します。

◆東京商科大学時代の建築物 


一橋大学の建物と怪獣の彫物

 

東京商科大学時代に建てられ、現在も残る兼松講堂などには数多くの怪獣の彫物を見ることができます。これらの建物は、大学の起源とされる中世ヨーロッパの修道院が、11世紀から12世紀にわたりロマネスク様式で建てられていたことから、伊東忠太先生とその門下であった文部省建築課のスタッフによりロマネスク様式で設計されたものです。また、ロマネスク様式の建築には「怪獣」が潜んでいたことも要因となり、そのために一橋大学の建物にも多くの怪獣の姿を見ることができます。

 

伊東忠太先生は、怪獣というよりも「妖怪」に造詣が深く、「妖怪研究」という論文まで出しています。先生の「妖怪研究」は青空文庫にも載っており、大正六年に『日本美術』に掲載されたものですが、ばけものの起源、各國のばけもの、ばけものの分類、ばけものの表現などについて論じられていますが、最初の「ばけものの起源」に先生の「ばけもの」についての定義と考え方が述べられていますので披露しておきます。

 

ばけものの起源

 

妖怪の研究と云つても、別に專門に調べた譯でもなく、又さういふ專門があるや否やをも知らぬ。兎に角、私は「ばけもの」といふものは非常に面白いものだと思って居るので、之に關するほんの漠然たる感想をいささか茲に述ぶるに過ぎない。

 

私の「ばけもの」に關する考へは、世間の所謂「化物」とは餘程範圍を異にしてゐる。先ず、「ばけもの」とはどういふものであるかといふに、元來、宗教的信念または迷信から作り出されたものであつて、理想的または空想的に或る形象を假想し、之を極端に誇張する結果、勢ひ異形の相を呈するので、之が私の「ばけもの」の定義である。即ち私の言ふ「ばけもの」は、餘程範圍の廣い解釋であって、世間の所謂「化物」は一の分科に過ぎない事となるのである。世間で一口に「化物」といふと、何か妖怪變化の魔物などを意味するやうで極めて淺薄らしく思はれるが、私の考へて居る「ばけもの」は、餘程深い意味の有るものである。特に藝術的に觀察する時は非に面白い。

 

「ばけもの」の一面は極めて雄大で全宇宙を抱括する、而も他の一面は極めて微妙で、殆ど微に入り細に渉る。即ち最も高遠なるは神話となり、最も卑近なるはお伽噺となり、一般の學術特に歴史上に於いても、又一般生活上に於いても、實に微妙なる關係を有して居るのである。若し歴史上又は社會生活の上から「ばけもの」といふものを取去つたならば、極めて乾燥無味のものとなるであらう。隨って吾々が、知らず識らず、「ばけもの」から與へられる趣味の如何に豊富なるかは、想像に餘りある事であって、確に「ばけもの」は社會生活の上に、最も缺くべからざる要素の一つである。

 

世界の歴史風俗を調べて見るに、何國、何時代に於いても、「化物」思想の無い處は決して無いのである。然らば「化物」の考へはどうして出て來たか、之を研究するのは心理學の領分であつて、吾々は門外漢であるが、私の考へでは「自然界に對する人間の觀察」これが此根本であると思ふ。

 

自然界の現象を見ると、或るものは非常に美しく、或るものは非常に恐ろしい。或は神祕的なものがあり、或は怪異なものがある。之には何か其奧に偉大な力が潜んで居るに相違ない。此偉大な現象を起させるものは人間以上の者で人間以上の形をしたものだらう。此創造するのである。且又、人間には由來好奇心が有る。此好奇心に刺戟せられて、空想に空想を重ね、遂に珍無類の形を創造する。故に「化物」は各時代、各民族に必ず無くてならない事になる。隨って世界の各國は其民族の差異に應じて「化物」が異って居る。




一橋大学の構内で見る怪獣達